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匿名を容認しないという人たちは(熊本市も含めて)、ただのキレイごとを言っているだけで、わが子を捨てるという極限状態に立たされたことのない脳天気の人たちの言い分で何も彼らの言に耳を傾ける必要はない。
熊本市の慈恵病院の蓮田太二理事長はいみじくも次のように述べている。”誰から生まれたかではなく誰に育てられたかが重要と社会が理解し、養子を特別視しなくなった時に、匿名性と出自の問題はなくなるのではないでしょうか”
公園のトイレ、あるいはデパートの洗面所に子供を遺棄して行く親が後を絶たない。この無情な無責任な親たちを非難するだけでは、何の解決にもならないのだ。年間、3万人を超す自殺者がでるわが国である。何が起きても不思議のない世の中にあって、とりあえず、一人の子供の命を救おうと言う活動が匿名云々の問題で非難されるのはあくまでも筋違いであろう。
”こうのとりのゆりかご”には無条件で支持を贈るべきである。
環境省には、暇人が多いンだね。東北には瓦礫が山ほどあると言うのに。
高速バス衝突 「事故時にはうとうと」運転手が供述。
要するに、この度の大惨事は運転手の居眠りが原因なのだ。
走行上限670キロ、運転手2人制、運転手の健康管理、運営会社の明朗化、旅行社の運行計画、等等いろいろ原因究明がなされているが、肝心要の道交法については一言の言及もないのは一体どうしたことだろう?
年齢、性別、運転暦、車種、天候、運手者の性格、運転者の既往症、健康状態、など一切の条件を無視して制限速度100キロメートルの高速道が提供されているのだ。先ず、ここに最大の問題があるのだが、種々の条件を区別した道路を作ることは不可能事である。では、どうしたらいいのか?解決策はひとつ、最高速度を60キロに押さえるのだ。
一般道、40キロ、高速道、60キロ。
それでも、運転手が居眠りをすれば、事故は起きる。
連日、通学児童が痛ましい事故で死亡しているが、これは簡単に交通事故で済ませてはならない。容疑をいくら切り替えてみたところで、亡くなった子供が生き返る訳ではないのだ。
全国の全ての児童通学路に頑丈なガードレールを設置すること。バス停などには、強固な防護柵を設けること。通学路の道路は全て時速15キロ規制。全ての横断歩道には、警官またはそれに準じる者の立哨を義務ずけること。道路には一定の間隔で段差を設け、運転者の注意を喚起する。通学路での交通法規を見直し、違反者には厳罰をもって臨む。
財源は、自動車産業、石油精製元売業、バス会社、トラック、タクシー業者が応分額を拠出し、運転免許更新料を2倍にする。あと、足りないところは、国及び各地方自治体が補うというのはどうだろう。
基を糾せば、国の道路行政の不備が招いた悲劇である。高速道路ばかり作らないで、こうした弱者の道路にも予算を割いてほしいものだ。
最後に、長年の主張を少しだけ語らせて貰いたい。小、中、高校の正規の学習科目として週1時間でよいから、必須科目として交通学を加えて貰いたいものだ。これだけの車社会に交通の学問がいままで、無かった方が不思議なくらいだ。
まあ大方予想されていたことであり、驚くに当たらない。あくまでも推定無罪であり、国民は皆、彼の有罪を信じてこれからの審判に臨むであろう。
検察審査会は充分にその機能を発揮し、彼の行動を遺憾なく阻害したことは、評価されてしかるべきである。
以後、彼が復権をめざしても、民主党そのものが瓦解寸前であり、いかに彼の豪腕をもってしても政権の維持は難しい局面にある。
後は、解散を待ち政界の再編成に臨むだろうが、もはや彼を受け入れてくれる政党は皆無であり、彼のグループに参加する者は言うに及ばず、政界の孤児は永田町の吹き溜まりで孤独を噛み締めるだけであろう。
久しぶりに、ある番組で、加藤登紀子さんの知床旅情を聴いた。
彼女は、年をとってからのほうが、唄が巧い。年齢にふさわしく、声も風貌もしみじみとして何か心に触れるものを感じた。これからも頑張って貰いたい人の一人だ。
環境省が行っている絶滅種の復活は、何か人々に幸せな予感を与えているような印象を受けがちである。平たく言えば、トキとかコウノトリが一羽でも繁殖に成功すると、官民、マスコミをあげて賞賛の声があがる。
暇人が何十億円もかけて繁殖にいそしめば、何羽かのヒナの誕生をみても不思議はあるまい。
だが、その前に人間が自然界をいかにして破壊してきたかを反省するべきではないのか?鳥たちを絶滅の淵に追いやったのは、間違いも無く人間である。
列島を縦横無尽に走る高速道、新幹線、工場の煙突から吐き出される有毒ガス、何千万台の車から排出される有毒ガス、田んぼにばらまかれる農薬、鳥たちの住む森林に散布される松くい虫農薬、宅地開発による森林の伐採。
このような現況の中で、環境省が行っていることはまさに蟷螂(とうろう)の斧(おの)そのものではあるまいか?
同じ鳥族なのにゴミを漁るからといってカラスを敵視し、異常に繁殖したムクドリを退治したり、ホントに人間の身勝手さには呆れるばかり。
鶴たちにしても、最近は日本列島での越冬は敬遠しているようである。
原発に象徴される科学万能の現代社会では、もう、鳥たちは過去の遺物なのかもしれない。